2016年09月28日(水) 芸能ニュース
2016年9月28日(水)放送、日本テレビ系「衝撃ニュース 追跡リサーチ」
21時00分~22時54分

日本を震撼させた大事件の数々。

日本は先進国の中でもっとも凶悪犯罪の発生率は低く、世界中が「安全な国」と認めている。そんな日本でも、かつて「オウム真理教地下鉄サリン事件」という前代未聞の大きなテロが起こり、通勤ラッシュ時に地下鉄に化学兵器を撒いたという大事件が起こった。

津波や原発事故、火山噴火に大地震、そして凶悪犯罪の未解決事件と日本は、本当に安全な国なのか?

今夜の放送で大事件の当時を振り返り、日本中を騒がせた「あのニュース」はそれからどうなったのか?日本中の注目を集めた事件のその後を調べて、事件の真相を迫る。

2007年3月26日に発覚した、イギリス人英会話講師リンゼイ・アンホーカーさんの事件。

なぜ、市橋達也はリンゼイ・アンホーカーさんの事件後、整形を繰り返し、2年7ヶ月間逃亡出来たのか?逃走ルートを再検証し、市橋達也が潜伏した場所、有毒生物が棲む「無人島ジャングル」オーハ島を進んだ先にあった謎の物体に怒り狂ったという衝撃の真実に迫る。

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・事件概要
2007年3月26日、リンゼイ・アンホーカーさんと同居していた女性から、リンゼイさんが帰宅しないことで、警察に相談。行方不明として捜索を開始する。

同じ日の午後9時40分、千葉県市川市で市橋達也とリンゼイさんが駅の防犯カメラで一緒に歩いているのを確認され、自宅に捜査員が訪ねる。警察の任意捜査に素直に応じ、捜査官を中に招き入れると、その隙をみた市橋達也は非常階段を駆け下りて逃走。マンション外にいた他の警察の裏をかき、そのまま東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走した。千葉県警は指名手配犯として、警察犬、捜査員と総員100名にも及ぶ大追跡を開始。


この逃走から2年7ヶ月の間、市橋達也はどこで何をしていたのか?

・市橋達也の人物像

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市橋達也は父親が医者で、母親は歯医者という裕福な家庭に生まれる。

市橋達也も幼少の頃から医者を目指し、とても成績優秀だった。

中学時代はバスケ部で副キャプテン。高校時代には、部活で陸上に入り足の速さは学年1位、空手は黒帯で勉強以外でも活躍していたという。地元名門校に進学し成績も優秀、趣味も多彩で絵が上手く、更に生徒会役員も務めクラスの人気者だった。両親は医者という事もあり、お金には困らず教育をして、本人も「期待にこたえよう」と勉強に打ち込んだが、しかし、4浪しても大学受験に失敗し浪人。目指していた医学部には入れず、医学部じゃない大学に入るが卒業後も働きもせず、親の仕送りで暮らしていたニートだった。

親は「愛情」と勘違いし、市橋達也は湧き水の如く使い、月15万の仕送りをして貰いながら、ニートを謳歌していた。だが、事件前に親が「もう仕送りをしない」と通告。これに「自暴自棄」にでもなったのか、今回の事件が起こった。

・市橋達也の逃走劇


市橋達也を取り逃がした千葉県警の失態は大きく、警察は威信にかけて捜査。
100人体制から150人体制に捜査強化し、有力な情報に懸賞金を1000万円、指名手配を全国に広げることになる。

市橋達也は軽装のまま財布に入っていた5万円を所持し逃走。
自己流で整形手術を行い(ほくろをカッターナイフで切除、鼻翼を左右から縫い縮める)関東周辺を逃げている。移動は徒歩をメインに足のつきにくい手法をとり、日本を北上し青森まで移動。

青森駅前公園で1週間ほど寝泊りするうちに青森の経済状況がよくないことを感じ取り、働いて生活するために大阪市西成区の公共職業安定所を訪れた。ここでは職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動した。

四国では香川県高松市から徒歩で徳島県~高知県~愛媛県とお遍路。
これは贖罪の意味があったとしている。一方で「逮捕されればさらしものになる」「指名手配されると、自首しても減刑にならない」と自主的な出頭は考えていなかった。お遍路の先々にも手配写真が掲載されているのを見て、このままでは逮捕されるのは時間の問題と考え、無人島での生活を考え始める。

高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として沖縄県のオーハ島を選択した。お遍路を途中で止め、松山港からフェリーで別府港に移動し、その後鹿児島県を経て沖縄に渡った。

初回のオーハ島渡航は、準備不足で1週間ほどで頓挫した。資金が尽きた市橋は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き金を稼いだ。沖縄での経験で、市橋はオーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案した。

住み込みでの仕事は解体現場や建設現場を選んだ。他にも船に乗る仕事や風俗に女性を派遣する仕事などをしないかと誘われたが市橋は断っている。勤務態度は良好であったが、宿舎の近くに警察らしい車両が止まっていたりすると、身近に捜査が及んでいるのではないかと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返した。

2008年春には自宅の近隣に所在し、卒業論文のテーマであった東京ディズニーランドを訪れている。住み込み労働で得た貯金で、2008年10月23日と24日に名古屋の形成外科にて眉間の形成手術を受けた。

・オーハ島での生活

市橋は、逃亡中に沖縄県の島尻郡久米島町のオーハ島を4回訪れており最長で3ヶ月ほど滞在した。最初の滞在では海岸近くの岩場に潜伏していたが、2回目以降の滞在は海岸近くのコンクリートブロック造りの小屋に移動した。オーハ島はダイビングスポットや海水浴としては人気があったが、当時居住していたのは70歳代の男性が1人であった。

隣の久米島で仕事を探したが適当な仕事がなく、自給自足の生活をしていた。
最初の滞在は準備不足で魚釣りも満足にできず食料調達に失敗し1週間で頓挫した。オーハ島から沖縄本島に戻るときにはフェリーの代金が足りずキセルをして職員に捕まっているが、事件の市橋とは察知されず放免されている。

2回目以降の滞在では図書館でサバイバルに関して調査し、魚や蛇・ヤシガニを食べたり、野菜を栽培するなどして生活。飲料水は奥武島に泳いで渡り、1週間分の飲料水をペットボトルに詰めて持ち帰るなどした。

2009年11月10日、通報をうけ、大阪南港フェリーターミナルに先回りし、待機していた警察官が、この島を目指して移動途中、市橋達也は逮捕された。

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参照wiki

時効寸前まで逃走した福田和子も凄かったが、市橋達也の事件とは時代が違い、警察の捜索する動員数も違う。女が1人逃走するのと、身長180cmの市橋達也が逃走するのとでは難しさも違うので、その逃走への執念はすさまじいのもだったと思われる。

市橋達也は大阪南港から旧大島運輸フェリーに乗船して沖縄方面オーハ島に向かう事を考えていたが、この時期のフェリー乗船はあまりに目立ちすぎだった。 元オウム真理教幹部の林泰男も、フェリーに乗船し、南西諸島に向かい逮捕されていることから、不自然な乗船はすぐに通報が入る。


市橋達也の親が、「息子は沖縄オーハ島には行った事はない」と語っていたことから、全くの知識がなく無人島としてオーハ島を選んだのだろう。

整形するという用心深い行動をしておきながら、冷静さを事欠くフェリー乗船は、目立ちすぎて危険だという認識はまるでなかったのが疑問が残る。整形後の顔写真公開となって以降、本人はかなり切迫感があったと考えられ、冷静な考え方が出来ない状態におちいっていたのだろう。判断力が欠落し、精神的にもゆとりがまるでなかったと考えられる。

・市橋達也の逃走費

これまでの記録は市橋達也の手記に書かれていることなので事実だと思われる。

自分で整形して逃亡しておいて、お遍路巡り。無人島生活をしたという「嘘くさい内容」も「逃亡する時に協力してくれた人」を隠すためにこんな手記を書いたのではないか?という意見も存在する。

自分でほくろを切断し無人島にアジトがあったのも事実だが、市橋達也の所持金は5万。
住み込みで働いていたというが、長期間働けるはずもなく、逃亡中にも関わらず100万以上稼いでいたこになる。生活費もかかるし、整形手術にも金がかかる。だれかが経済的に支援し続けて、また住む場所も用意して、普段の雑貨のためのお小遣いも渡していた可能性もゼロではない。

賃貸で借りていると、全国の家主や不動産屋から警察へ連絡が入るので、支援している人の名義で買っているマンションに住んでいた可能性も考えられた。

今夜の放送では、なぜ市橋達也は無人島生活をしたのか、そして有毒生物が棲む「無人島ジャングル」を進んだ先にあった衝撃の真実に迫る。

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